体験的記憶法
エビングハウスの忘却曲線
ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスは「記憶」が時間経過により、どのように変化するのか実験法を用いて記述しました。縦軸に記憶率、横軸に時間をとってグラフ化された曲線を「エビングハウスの忘却曲線」と呼んでいます。エビングハウスが実験で使ったのは「無意味語(子音・母音・子音の無意味な音節)」で、これは「意味語」より忘却率が大きくなり忘却スピードも早くなるそうです。理解した方が忘れにくいという事でしょう。実験結果は平均、20分後には42%、1時間後には56%、1日後には74%、1週間後は79%忘却するということでした。人間は暗記しても復習しなければ、翌日には7割以上忘れるのです。これは「頭が良い」と言われている人(=記憶が得意な人)であっても、勉強が苦手な人であっても、大差はないということです。要は「忘れない内に繰り返す。」事に尽きる様です。スタート時点で、極力理解と記憶に努めることが重要なことは言うまでも無いようです。
私の体験
54歳から法律の勉強を始めました。それまで法律というと中学校の時に憲法の授業を受けた位のものでした。この時、普段は優しい社会科の大島先生が憲法9条の暗記を我々に強制しました。お陰さまで54歳になっても断片が残っており、2〜3回繰り返すと諳んじる事ができました。これなら何とかなりそうだと思いました。所がこれが甘かったのです。覚えたと思っても、次の日にはもう忘れています。その頃、合格体験記なるものを買ったらこう書いてありました。『私は合格後祝賀会での最年長者のスピーチ:「私は10回忘れたら11回覚え直しました。」という言葉に感動しました。』というのです。私はというと、11回どころか20回繰り返しても30回繰り返しても、翌日にはきれいさっぱりと忘れています。「頭はふらついているし、年も年だから無理なのかもしれない。」と弱気になっていました。しかし、ある時ふと、こんな考えが頭に浮かびました。「人類の創造主がいるとしたら、我々に覚えるという能力と忘れるという能力のどちらを基本能力として与えて下さっているのだろうか?自分は今迄、忘れるという能力のお陰でどれだけ救われた事だろう!一々覚えていたら気が狂っていたかもしれない。そうだ忘れるのが自然なんだ。けれども、繰り返せば覚えるという能力も同時に与えて下さっている。何と有難い事だろう!」そう思い至ってからは、忘れる事が苦痛ではなくなりました。「他人が20回で覚えるなら、ハンディのある自分は覚えるまで50回でも100回でも繰り返そう。」そう覚悟を決めました。真のスタート台に立てた時でした。
糸川英夫博士:コツコツ
糸川英夫博士とは、一式戦闘機「隼」を設計された方です。戦後はペンシルロケットの開発に携わり「日本宇宙開発の父」と呼ばれた人です。2010年、その名が冠せられた小惑星「イトカワ」から「はやぶさ」が幾多の困難を乗り越えてサンプルリターンした時の感激は記憶に新しい所です。その方が何故なのか、62歳から何とバレエを始められました。東洋の魔女ではなくて、「白鳥の湖」の方です。バレエでは足を頭の上まで上げなければなりません。糸川博士はこう言われました。「まず、タンスの一番下の引出しを手前に引いて新聞紙を一枚置き、その上に片足を乗せる。毎日、新聞紙を一枚づつ重ねてその上に片足を置き続ける。3年経つと足が肩の上まで上がる様になる。」「学に進むに漸有り。速やかに成らんと欲する事勿れ。唯、諄々として止まざれば則ち遂に成す事有り。」という言葉に出会ったのもこの頃でした。「そうだ、速成は不自然なんだ。欲張るまい。コツコツやっていけばいいんだ。」という事を教えられました。